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鞆のお手火祭り(日本三大火祭り)



お手火神事
 この神事の起源は不詳であるが、公式には鎌倉時代末に始まったと考えられ天正年間(1573〜1592年)まで行われていた。300年以上も中断されていたが、1917年(大正6年)に再興され、1973年(昭和48年)3月31日、福山市無形民俗文化財に指定された。鞆祇園神社(明治政府の神仏判然令、いわゆる“神仏分離令”により、今は「沼名前神社」という名前に変更させられている)の祭神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)の神輿渡卸(みこしとぎょ)に先だって行うお祓いの行事で、昔は旧暦6月4日に行われていた。現在は旧暦6月4日に近い土曜日に行われる。また、雨・台風の日であっても行われる。

お手火の様子(動画)


右から一番手火、二番手火、三番手火
向かって右から一番手火、二番手火、三番手火
大(お)手火…重量約150kg、長さ約4m、経約2m

 鞆の浦の「お手火神事」は、「那智の火祭り」(和歌山・熊野那智大社)、「鞍馬の火祭り」(京都・由岐神社)、と並ぶ日本三大火祭りの一つとも言われている。起源不詳で太古の昔から行われている火祭りと思われるが、文献上確認されるのは、14世紀半ばあたりである。

 ちなみに、鞆の祇園神社は京都の祇園神社(明治政府の神仏判然令、いわゆる“神仏分離令”により、今は「八坂神社」という名前に変更させられている)の元社にあたる社である。京都の「鞍馬の火祭り」と鞆の浦の「お手火祭り」はよく似ており、何らかの関連性がうかがえる。

 お手火は向かって右から一番手火、二番手火、三番手火。鞆の浦の旧鞆町構成7町が輪番で当番を務め、順番は、第一年目…江の浦町&元町(一番手火)、西町(二番手火)、石井町(三番手火)→第二年目…江の浦町&元町(一番手火)、道越町(二番手火)、鍛治町&祇園町(三番手火)→第三年目…江の浦町&元町(一番手火)、関町(二番手火)、原町(三番手火)。

 江の浦・元町だけが特別に毎年一番手火を担当する理由は、綿津見尊(わたつみのみこと)が上陸された地が江の浦である事が起因しているようだ。社(やしろ)の案内には、「沼名前神社は明治9年(1876年)5月23日、境内渡守神社の祭神・綿津見尊を本殿に遷して祇園神社の素盞鳴尊は相殿に斎した」とある。

 午後6時、一番太鼓が拝殿内で30分間打ち鳴らされ、午後7時、二番太鼓が鳴らされ、午後8時の三番太鼓で宮司以下参進。献餅、祝詞奏上、ついで宮司殿内にて火をかがり、神前手火に神火を移す。白装束の際事運営委員7名・警護14名、これを受け、大石段を駆け下り随身門外南側の清められた区域に安置されたお手火を払い神火を移す。

 直ちに引き返し、神輿庫を祓い神前に帰る。お手火はそれぞれ当番町の氏子青年たち(総勢百名ほど)に奉舁され、古来定められた順番(上述)で大石段(45段)を一進一退しつつ、拝殿前の装置場まで舁き上げられる。

 一番手火が置かれると当番町の神輿が神輿庫から出され拝殿に納められる。それを順に繰り替えされ、三体揃えばお手火を再度舁き、境内を廻り祓い、それぞれの当番町へ帰り、町内を祓い清めて神事を終了する(午前0時ごろ)。

 参拝者は舁き上げられたお手火から小手火に神火を移し、各家に持ち帰り、厄よけ・家内安全、または畑の害虫を送り豊作を祈る。あるいは海上安全を祈願したり、無病息災を祈ったりもする。

※沼名前神社の神火は火打ち石(江戸時代の発火装置)による。


神前手火 バケツで水をかけてもらいながら、ぬらした法被を頭にかぶりお手火をかつぐ
神前手火(一体)…重量約30kg、長さ約1.8m バケツで水をかけてもらいながら、ぬらした法被を頭にかぶりお手火をかつぐ

 神火の移されたお手火は、油のまわったたいまつに燃え移し、火勢を強め燃え上がる。水でぬらした法被を頭にかぶり、交代しながら又バケツで水をかけてもらいながら随身門から大石段そして拝殿前の装置場まで練り歩く。お手火の燃え落ちた黒こげの木片を持ち帰り、家の表口に釘で打ちつけ、厄払いの護符とする。

お手火ポスター

お手火ポスター


2006年7月8日 沼名前神社境内にて撮影

お手火のまわりにはアマチュア・カメラマンがぎっしり 熱気と火の粉で凄い事に
お手火のまわりにはアマチュア・カメラマンがぎっしり 熱気と火の粉で凄い事に
階段を上る三体のお手火
階段を上る三体のお手火
階段を上る三体のお手火 黙々とお手火を担ぐ
階段を上る三体のお手火 黙々とお手火を担ぐ



お手火 【前編】
お手火 【後編】

境内にはたくさんの屋台が出ます

夜店のクレープ屋さんにて

 夜店のクレープ屋さんにて、上の女の子、大丈夫かな? 頭が透き通ってるよ? 何かの警告だと思うんだけどね! ←この写真を、ある霊能師の方に霊視していただきました。やはりこの女の子に対しては、事故・怪我等の注意メッセージが出ているそうです。もし該当者の方が、この写真を見られたならば、気をつけられて下さい。

 このページ全体を前述の霊能師に霊視していただいた所、神社全体に鎧兜をまとった武者たちの霊魂がたくさん写っているそうです。ただし、鞆の祇園神社にいつもいるわけではなく、この火祭りの時に一時的に出現しているそうです。この鞆の浦の地は源平の合戦から南北朝の戦乱に至るまで、合戦の場所にもなっている地です。その時代の武者たちが篝(かがり)火と雰囲気がよく似たお手火の時、そして合戦とよく似た祭りのにぎわいの時に出現しているみたいですね。

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