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鞆の鯛網


 鞆の浦の地元民にとって、存在する事は知っていても実際に見る事のほとんどない観光鯛網。で、実はこの観光鯛網、毎年赤字続きなのです。この鯛網イベントも、だんだん観光客も減ってきているし、漁師さん自体も高齢の人が多くなってきているということで、近年なくなってしまうという話もあるようです。鞆の浦の観光ショーとして、また鞆の浦の伝統文化を継承する為、なんとか後世に残してもらいたいです。なお、2005年から集客力アップの為、観光船の遊覧に阿伏兎(あぶと)観音を巡るクルージングコースをサービスで加えました。

 ここだけの話、1992年まで乙姫役はベテランのおばさんが担当していました。が、観光客の目減りの責任をとらされリストラされてしまいました。1993年からは公募で選ばれた若くて綺麗なピチピチギャルが鯛網コンパニオンとして乙姫役を担当しています。これも時代の流れですね。おばさん、かわいそーー!

鯛網の様子(動画)

鯛網の歴史
 江戸時代初期、福山城主・水野勝成の命を受け、鞆の浦の沖合いの海上交通整理役と走島の開発を担っていた走島の庄屋、村上太郎兵衛と鞆の当納屋忠兵衛の共同で、1632年(寛永9年)に考案されたといわれております。産卵場所を求めて瀬戸内海に入る鯛を「しばり網漁」により六隻の船団で追い込む伝統の漁法。

鯛網船団の構成
指揮船(沖合い船)…鯛網船団の全体を指揮する船
網船(親船)…網をおろし、引き上げる船は2隻
錨船…網船の錨の役目をする船
生船…指揮船に判断の材料を提供し、取れた魚を運ぶ船


仙酔島での余興、アイヤ節の披露や地元歌手の歌や鏡割りなど
アイヤ節 アイヤ節

アイヤ節
弁財天の使い「乙姫」様
アイヤ節…江戸中期に大阪から下関を経由して津軽を往復した北前船で、船頭が長い航海の慰めに
唄った郷里の唄に、しなやかな振りがついたもの。寄港する北陸のハイヤ節の影響があり。
弁財天の使い「乙姫」様


一、樽太鼓・弁天龍宮の舞
網おろしの祝いと大漁の祈りをこめて樽太鼓が勇ましく打ちならされ、大漁節が浜に響きわたり、弁財天の使い「乙姫」が大漁祈願の舞を踊ります。

樽太鼓 乙姫の大漁祈願の舞 乙姫の大漁祈願の舞
樽太鼓 乙姫の大漁祈願の舞(仙酔島にて) 乙姫の大漁祈願の舞(沖合にて)


二、大漁祈願
「ハリャーヨイシャ」のかけ声に合わせ、網の神様「大玉」(網霊)をのせた「手船」という小さな船で弁天島の「弁財天」に大漁の祈願に参ります。

弁天島に向かう「手船」 弁天島に上陸 クリックで拡大
弁天島に向かう「手船」 弁天島に上陸 ↑クリックで拡大


三、漕出式・出漁
大漁祈願をすませた「大玉」は親船に積まれ、古式そのままに船団は左に三回まわります。五色の吹き流し、大漁のぼりを打ち立てて鯛網船団は、大漁を求めて沖合へと進んで行きます。

弁天島から離陸 船団は左に三回まわります 沖合へと進む
弁天島から離陸 船団は左に三回まわります 沖合へと進む(後ろの鞆シーサイドホテルからタダ見可)


四、網入れ・網しぼり
指揮船からの合図で二隻の親船は左右に大きく分かれながら海中深く網を下ろしてゆきます。この網は「大引網」「手綱」「袋」からなり、長さ1500m幅100mの大きなものです。網を下ろした後は、「エット、エットーヨーイヤサンジャー」の掛け声も勇ましく網を徐々に小さくしてゆきます。

網入れ 網しぼり
網入れ 網しぼり


五、大漁
網を引き上げると親船はしっかりと結ばれ観客は次々と親船に乗り移ります。「観光鯛網」のクライマックスです。

鯛網ショーのクライマックス 実は養殖モノなんですね、コレホントは
鯛網ショーのクライマックス 実は養殖モノなんですね、コレホントは



戦前の鯛網
戦前の鯛網
この頃は養殖モノで無く、天然の真鯛(桜鯛)が獲れてました。
戦後の高度経済成長によって、瀬戸内海が汚染されてしまい真鯛がいなくなっちゃったんですね


鞆の鯛網、前編 鞆の鯛網、後編



最後は阿伏兎観音までクルージング
阿伏兎観音
ある霊能師にこの写真を霊視していただいた所、この崖の下のくぼ地にマイナスの霊氣と霊がいるそうです


 鯛網と阿伏兎観音クルージングをセットで3,000円なら、かなーりお得かも!


 山陽新聞に観光鯛網の紹介記事が出ています。 山陽新聞の記事


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