宮崎駿が「崖の上のポニョ」の構想を練った鞆の浦の家
2004年の11月に宮崎駿がスタジオジブリの社員旅行で広島県福山市の鞆の浦にやって来ました。その時、宮崎がこの地を非常に気に入り翌年の春、2カ月間にわたり下の写真の家で次回作品の構想を練りました。これが「崖の上のポニョ」となります。
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ここは元々、南北朝時代に北朝・足利幕府軍と南朝・後醍醐天皇軍との戦闘を経て、室町幕府初代将軍・足利尊氏の妾腹の子である足利直冬が幕府の中国探題として居城していた、大可島城の敷地跡に建てられた邸宅です。宮崎駿ファンの方はぜひ一度、訪ねてみられたらいかがでしょうか。ただし、ここは民家ですので、勝手に敷地内に入る事はやめましょう。
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![]() 手前の頭部が赤い金魚に注目! |
![]() じゃこ飯が評判 息子さんが正義感が強くて 優しいらしい 交通事故にあった人を 助けたとのこと |
| 金魚姫ポニョ | ポニョのモデルとなった実在の金魚(鞆の浦の某食事処にて) | このお店に金魚がいます |
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| 円福寺、大可島城跡の山側半分が敷地 | 鞆の浦の野良猫、円福寺への上り道にて |
同じく大可島城の敷地跡に建立された円福寺という寺が隣にあります。ここは1867年に起きた“いろは丸事件”、すなわち坂本龍馬のいろは丸と紀州和歌山藩の藩船が衝突し、いろは丸が鞆の浦沖に沈没した事による、日本初の海難審判がこの鞆の浦の地で行われた時、和歌山藩士の宿舎となった場所が、この円福寺だったわけです。
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| 坂本龍馬が海援隊士を連れて遊びに出かけた遊郭跡 | 仙酔島への渡船場駐車場(奥一帯がかつての遊郭地区) |
円福寺の真下には当時、坂本龍馬が海援隊士を連れて遊びに出かけた遊郭跡(旧対山館)も現存しています。龍馬ファンの方は一度見学されるのもいかがでしょうか。また、西郷隆盛もかつてここで投宿したとの事。話は変わって、この建物をある霊能師に霊視していただいた所、この遊郭跡は非常に強い怨念の霊氣があるそうです。霊的に弱い方は避けられた方がよろしいかと思われます。場所的には、仙酔島への渡船場駐車場の裏側にあります。
鞆の浦の遊郭関連情報 その1(鞆の浦は女郎部屋発祥の地)
その2(とはずがたり)
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| 坂本龍馬ゆかりの旅館、ななめ右 | 坂本龍馬ゆかりの旅館、側面 | 坂本龍馬ゆかりの旅館、正面アップ |
宮崎駿がプロデュースした坂本龍馬ゆかりの旅館、2008年4月オープン予定
龍馬と紀州藩が談判した当時の場所である、備後福山藩鞆奉行所の役人、魚屋萬蔵旧宅が旅館としてオープンする事となりました。龍馬ファンの方は鞆の浦ご宿泊の際にはいいと思います。なお、この旅館に関しては外観や内装などの基本的なイメージは、宮崎駿がプロデュースを担当しています。彼が描いた20枚ほどのスケッチ画を元にして設計されたそうです。宮崎駿ファンの方も宿泊されたらいかがでしょうか。
なお、この旧宅を霊能師の方に霊視していただいた所、無数のオーブが飛び回っているそうですが、霊障などの心配はないそうです。下の二枚の写真をご覧下さい。旅館に改装する前の状態です。写真の壁や柱に丸いシミのようなものが写っています。それは壁や柱の汚れではなく、光のかげんではなく、レンズの汚れでもなく、それがオーブです。
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| 旅館に改装する前の状態 | |
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